松坂大輔のルーキー時代の活躍

2021年10月19日松坂大輔が引退しました。                今回は松坂のルーキー時代の伝説を振り返ります。             

ノーヒットノーランを達成し優勝

夏の甲子園で史上初のノーヒットノーランを達成し、そのまま優勝。

あの、PL学園との延長17回の死闘は、NHKで特集されたほどの名勝負でした。

その平成の怪物松坂大輔のプロ初登板は、1999年4月7日 東京ドームの日本ハム戦でした。

前日、対戦対手の日本ハムの片岡篤史と、西武の金村義明は一緒にレストランに食事に行きました。

そこで金村は「松坂は凄いボールを投げるぞ」と片岡に。

先輩「なに、言うてまんねん、まだ、高校生でっしゃろ」データーに出てるけど、「変化球ピッチャーでしょう」と答えたそうです。

そして片岡は「明日は、血祭に上げたる」と意気込んでいました。

当時の片岡は、前年にイチローと首位打者争いをしただけあって、選手として一番あぶらの乗っている時期でした。

そして迎えた開幕カード西武対日本ハム戦の第2戦。

155キロの剛速球

先発松坂は、1番井出、2番小笠原に対して、144キロで簡単に凡打に打ちとりました。

そして、前年にパ・リーグ打率2位の好打者、3番片岡に対して突然、ギアをあげ、155キロのストレートを投じました。

顔の当たりを通過するようなストレートでしたが、片岡も負けじとフルスイング。

しかし、バランスを崩して倒れ込む程の、見事な空振り三振に倒れました。

今では、逆に「血祭りにあげられました」と片岡が語っています。

しかし、この片岡との対決は、松坂を語る上で名シーンとして後世に残る事となりました。

名言を残した松坂

リベンジ

4月21日の対千葉ロッテとの試合で黒木知宏との投げ合いとなりましたが、惜しくも0-2で敗け投手。その試合の降板後に、「次回にリベンジします」と答えました。

そして1週間後、また、千葉ロッテとの試合となり、相手投手は同じ黒木でした。そして見事、1-0のシャットアウトの完封勝利。ここに、見事、リベンジを果しました。

この「リベンジ」という言葉が、この年、流行語の年間大賞に選ばれました。

自信が確信に変わる

5月16日オリックス戦に先発し、イチローと初対戦となりました。

結果は、3打席連続三振、1四球と抑え込み、「自信が確信に変わりました」と明言を残しました。

その後、松坂はルーキーから史上初の3年連続で最多勝を受賞。

アテネオリンピックにも出場し銅メダル。

WBCでも大車輪の活躍で2年連続MVPを受賞。

このように、プロに入ってから、数年はフル回転の活躍をみせました。

いつしか、この勤続疲労が松坂の後半の野球人生に暗い影を落とすことになります。

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