岩瀬仁紀の天然エピソード

選手としてのオーラが全く無い?

外出中は、選手として見られず、春の沖縄キャンプでは、川上憲伸と一緒にタクシーに乗った時には、タクシーの運転手から「川上さんのマネージャーさんですか?」と呼ばれたことも。

その他にも、また、川上ネタですが、試合後に食事に出かけたところ、何処に連れてってくれるんだろうと思いきや、カレーチェーン店の、「ココ壱番屋」のカレー屋さん、だったとか。

私事ですが、岐阜の関ケ原メナードカントリークラブのゴルフ場で、偶然、遭遇した時も、選手としてのオーラを全く感じませんでした。

打たれて失敗しても、「先の事の方が大事と、過ぎ去った事は深く考えない」という。

精神的な強さと、プライベートで過ごす天然さが、後の岩瀬を日本一のリリーフ投手として成功したのかもしれません。

出典 Wikipedia Public domain

極限状態のリリーフ

普通のメンタルではあの、日本シリーズでのリリーフ登板は出来ません。

伝説に残る2007年の第5戦でリリーフ。

完全試合ペースの山井大介を9回に岩瀬に交代させた落合監督も

「出て行く岩瀬は大変だろうな」と一言。

ランナーを一人も出せない状況の中で、3人で抑えてドラゴンズを53年ぶりに日本一に導いた岩瀬は本当にすごい。

しかも、岩瀬は、ポストシーズン(クライマックスシリーズ、日本シリーズ)ではいずれも無失点で、1点も失っていません。

大学時代は好打者

信じられない話ですが、こんな日本一の抑え投手ですが、大学時代は、もともと外野手でしたことに、もっと驚きです。

愛知六大学野球の通算最多安打記録まであと1本で新記録を打ち立てる程の打者でした。

この時の事は当時の中日スポーツにも掲載されていていたのを覚えています。

(ちなみに最多安打記録保持者は元ドラゴンズの神野純一)

そして、この年の、大学全日本代表のセレクションで外野手として参加するような好打者でした。この時の模様も、外野の芝生で、一人ぽつんとしゃがんで、静かにお弁当を食べていたそうです。(川上憲伸談)

もし、岩瀬仁紀が投手になっていなかったら、打者岩瀬はどんな選手になっていたのでしょうか?きっと、ホームランを打ちではなく、安打製造機タイプ?

高校時代も、身体能力は抜群で、陸上、サッカー、何をやらせても一流で、「西尾に岩瀬あり」と騒がれていました。

ちなみに打者として、プロ通算成績は 48打数 11安打 打率.208 打点3の成績を残しています。

ほとんどが中継ぎ、抑えの登板で、ほとんど打席にたった事の無い中では、上々の成績だと言えます。

地元愛が強い

岩瀬は、小、中学校、高校(西尾東高校)、大学(愛知大学)、社会人(NTT東海)、そして中日ドラゴンズと地元の愛知県を、野球の経歴で出たことがありません。 地元のヒーローは、いずれは指導者としてドラゴンズに戻って来ることでしょう。

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