伝家の宝刀スライダー
岩瀬の宝刀と言えば、やはりスライダーで、谷繫元信が受けた投手の中で3人挙げるとすれば、大魔神のフォークボール、森田幸妃のシュート、そして岩瀬のスライダーと語っています。
真っ直ぐの軌道でバッターに向ってきて、左バッターに当たりそうなところから、急激に曲がりアウトコースに決まる。実は左バッターよりも、右打者の方が打ちづらい。
しかし、現代野球ではきちんとデーターで、右打者の方が打率が低いにも関わらず、野球とは不思議なスポーツで、昔ながらの決まりごとのように、右打者を代打に起用するのです。
ストレートが良く曲がる?
ムービングファーストボール、いや、パルプンテボール(どこに行くか分からない)しか投げられないので、キャッチャーも大変。
1年目のブルペンの投球練習で、中村捕手が1球を投げただけで、すぐに代わったそうですが、145キロのボールが直前に曲がって、突き指をしました。
「いくつ指があっても足らんわ」と言ってブルペンから出たそうです。
きれいなフォーシームのストレートは投げられないのです。
しかし、本人はそうとは思っていない所が岩瀬の凄いところで、「少し、天然の入った、ノーテンキな部分」が抑えピッチャーで成功した秘訣かもしれません
コントロールが抜群
岩瀬は、左投手にしては珍しくコントロールが良く、四球が極端に少ないのも特徴。
実際に、通算でも9イニング当たりの四球は1.83個。
9回先頭打者にフォアボールを出して、ピンチを作るケースはほとんどありません。
そして、テンポよく、いとも簡単に3者凡退に打ち取り、ゲームを締め括るのです。
どちらかというと、打たれる時は、連打、連打で打ち込まれて負けるので、どちらかというと「あっさりと負ける」タイプでした。
そして、打たれても、後に残さない精神力の持ち主でした。
これはルーキーの年に、プロ初登板で打ち込まれた経験から生まれました。
プロ入りしたのは24歳。そして中継ぎを長く務め、その後6年目にして抑えとして起用されました。30歳になってから積み上げたリリーフの登板、そしてセーブの数々。
日本プロ野球に燦然と輝く1002試合最多登板。
407セーブは前人未踏の大記録を打ち立てました。
まさに、鉄人。岩瀬はドラゴンズのレジェンド。野球殿堂入りは間違いないでしょう。