古葉竹識さんの訃報

2021年11月12日心不全のため、85歳でお亡くなりになりました。

広島を初優勝

現役時代は2度の盗塁王。63年にはオールスターに出場しMVPを獲得。その年のは、長嶋茂雄と首位打者争いをしましたが、終盤に顎に死球を受け骨折。わずか2厘差で長嶋に及びませんでした。

1975年には、シーズン途中でジョー・ルーツ監督に代わり、途中、39歳で監督に就任.その後、見事広島を初優勝に導きました。

鉄拳指導

勝利に対しては妥協をせず、時には鉄拳を振るい、厳しく選手を指導。

勝利に対しては厳しく、キャッチャーに対しては、監督より、勝利に対しての強い意志があるようになったら一流だと説きました。

猛練習で生え抜き選手達を鍛え、また、自分の現役時代がそうだったように機動力を重視。高橋慶彦、山崎隆三、をスイッチヒッターに育て上げ、80年84年と2度の日本一に輝き、広島カープの黄金時代を築きました。

優しい一面も

当時の主力のベテランの山本浩二、衣笠祥雄、等には気を使い、怪我がないのか、身体が疲れていないのかを伺い、ゲームを休ませたりしました。

但し、優しい面をありました。消化試合になると若手に対して「お前、今、いくら貰っているんだ」と尋ね、ゲームに出場させて少しでも給与を上げてあげる一面も持っていました。

大洋ホエールズの監督に招聘

後に大洋ホエールズの監督に就任しましたが、最高順位は4位どまりで3年間で去ることになりました。チームを変えるには3年では足らず、5年かかると回想しています。                                                                                                                 しかし、後に活躍することになる、谷繫元信、石井琢朗、野村弘樹等の礎を築きました。

広島時代は、3塁コーチボックスで指揮をとったりしましたが、主に、ベンチの隅で指揮を執り、ベンチから体を半分出したり、引いたりすることが有名で、好プレー珍プレーで笑いのネタにされたことがあります。

東海地区の解説者として活躍

球界引退後は、何故かローカルの東海地区で解説者として活躍。東海テレビ、東海ラジオ、三重テレビでお馴染みとなりました。ドラゴンズの試合を解説する、古葉さんの解説は、長くドラゴンズOBの解説になれている私にとって、新鮮でわかりやすく、ドラゴンズに対して思いやりがありました。それでいてカープ戦での解説は愛するカープの情熱を感じて、古葉さんの解説は楽しみでした。

ドラゴンズがリーグ優勝した1999年の日本シリーズ中に、偶然、私が働くレストランに食事に来ましたが、気軽に話をして頂き、サインまで頂き、その時には、古葉さんの座右の銘である、「耐えて勝つ」の文字が記されていました。とっても、野球が好きで優しいイメージがありました。

その後、東京国際大学の名誉監督に就任。東京新大学春季リーグ戦で見事初優勝。

古葉竹識さんのご冥福をお祈り致します。

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