プロ野球史上最大のスキャンダル
1960年10日8日、読売、報知新聞に「公式戦で八百長」というショッキングなニュースが掲載されました。これが今も語り継がれる「黒い霧事件の」始まりでした。
中心人物として挙がったのは、西鉄、永易将之投手でした。暴力団と組み三振、KOなどをわざと、よそおい1試合20万~30万を受け取っていたという。西鉄はこのシーズン限りで永易の解雇を発表し、パ・リーグから永久失格選手の処分が下されました。
国会でも取り上げられる
この問題は、国会でも取り上げられましたが、永易が雲隠れをしていたことで、憶測ばかりが飛び交い永易が暴力団に監禁され「消された」という、噂すらありました。
翌、70年4月1日に疾走していた永易が八百長行為を認めている録音テープがテレビで流され、1週間後に、本人がテレビ番組に登場しました。その際に、関係した八百長は3試合で成功したのは1試合だけ、八百長行為に加わったのは西鉄の投手3人、野手4人(後に3人に訂正)と発言しました。
翌9日には、西鉄から八百長にかかわった6選手の名前が発表され、投手は池永正明、与田順欣、益田昭雄、野手は船田和英、村上公康。そして永易からは既に引退している元西鉄、中日の田中勉、元、南海の佐藤公博の関与についても発言がありました。
やむを得ず預かった池永
コミッショナー委員会は、5月4日に西鉄6選手に事情徴収。全員が否定しましたが、主体的に八百長行為を行っていた疑いの高い、与田、益田の2投手はすぐに出場停止を命じました。船田、基、村上は金銭を受け取った事を認めましたが、基、村上はすぐに突き返し、船田も返すつもりでしたが、機会を失い保管していたと主張。池永も先輩の田中から八百長を持ちかけられたが、断ったと語り、金銭(100万)についても田中の命が危ないと言われ、やむを得ず預かったと証言しました。
厳しすぎる処分
コミッショナー事務局は、与田、益田、池永を永久追放とし、船田、村上はシーズン中の野球活動禁止、基は厳重注意という処分を発表しました。
当時から、八百長に直接関与していない、池永についての処分は厳しすぎるという声が多かったようです。
これには、6選手で一番有名な池永選手を処分することによって、収拾をはかり、みせしめの意味もあったという。
この後も、事態はさらに広がり、オートレースの八百長で逮捕された中日の小川健太郎、永易から金銭を受け取ったと自供した、森安敏明が永久追放となり、続々と摘発され厳しい処分が下されました。この両選手は、共にチームの有名な主力選手でした。
実は他にも大勢いた?
しかし、実際には他にも八百長に関していた選手が大勢いたと言われています。しかし、すべてを処分していては、球界の存続に関わると、最低限の処分で終わらせたという説が、まことしなやかに流れました。
池永復権の署名運動
そして、稲尾和久、豊田康光、多くの西鉄OB、ファンによって池永正明の処分解除の署名運動が行われ、2005年5月に、日本プロ野球機構が処分解除を発表しました。
事件から35年の月日が流れていました。
参考文献 プロ野球事件史 ベースボールマガジン社編