投手が完封し自らのホームランで勝った試合

最近のプロ野球では投手の分業制が進んで、中継ぎ、ワンポイント、セットアッパー、クローザーの役割が確立。先発投手の完投、完封が少なくなりました。その昔、スワローズの松岡弘が、ジャイアンツの江川卓と投げ合って、自分がホームランを打ち、相手打線を完封して1-0で勝ったことがありました。

投手が完封して、自らのホームランの1点が最少得点と言うケースはプロ野球史上大変希少でわずか8度しかありません。この時、松岡投手で7度目の記録で、その後、1981年に広島の金田留弘が達成してから40年以上現れていません。

第1号は戦後2年目の1947年9月4日の後楽園球場で行われた大洋対阪急戦で、大洋の真田重蔵が野口二郎からホームランを放ちました。この鉄腕野口は、延長28回を一人で投げ抜いた伝説のタフマン。この日は、立ち上がりが不安定で、初回もピンチがあり、2回も先頭打者にヒットを打たれましたが、直後のサードライナーで併殺となりました。この野口は元々、孤軍奮闘の投手で1-0の勝利が15試合もあり、0-1の負け試合も12試合もありました。このゲームの試合時間は1時間2分で、今では考えられない。

第2号は、400勝投手の金田正一。国鉄時代の1953年6月24日の阪神戦。0-0で迎えた8回の表に梶岡忠義からライトスタンドに叩き込みました。その裏、阪神は金田正泰のヒットと野手のエラーで無死2塁のピンチを向かえましたが、金田正泰が3塁を狙って憤死。最後の打者を三振に仕留めて達成。試合時間は1時間30分。

前述した金田留弘は正一の実弟。

この年はもう1度達成があり、8月23日の西鉄対東急戦。東急の米川泰夫は3回表の先頭打者で相手外国人投手のベインからホームラン。ちなみにこのベインは在日米軍勤務中の「アルバイト投手」でした。この方法はこの年限りで禁止されました。この日のベインの投球は3安打、10奪三振に抑え、この日の米川の一発は貴重な1打となりました。

9回裏の西鉄の攻撃は1死2.3塁で、ピンチを向かえましたが併殺にとって試合終了となりました。

気分がいい投球

1957年9月1日の巨人対中日戦。堀内庄が記録しましたが、1番気分よく投げられるケースでした。8回の裏に自らホームランを放ち、次回の9回の表、1イニングだけを投げればいいのだから。堀内は3安打、11奪三振の好投。中日は6回まで好投した空谷泰を降ろし、エース杉下茂をマウンドに。8回裏もキャッチャーの森昌彦を三振に獲った後、堀内に投げた外角のストレートをバットに軽く合わせると、ライトスタンドで飛び込むホームラン。自身初のホームランとなりました。

11年後の1968年5月1日、中日球場で小野正一が阪神の江夏豊から値千金のホームラン。中日は主力の江藤慎一以外、江夏から三振を喫していてこの8回も2連続三振で迎えた小野が2-0と追い込まれた直後を外野スタンドに打ち込みました。

やられたらやり返す江夏豊

しかし、やられた江夏は同じ中日にやり返す。甲子園での1973年8月30日。中日先発の軟投左腕、松本幸行と延長まで投げ合い、11回の裏、自らのホームランでゲームを決めました。しかも、延長戦でのノーヒット・ノーランの歴史に残る快挙。

江夏豊のやる事は、やはりド派手で球史に残ることが多い。しかし、ドラゴンズ絡みの試合が多いのも疑問に残ります。

参考文献 週刊ベースボール 平成10年6月29日号

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