ミスタータイガースの出現はいつになるのか?

80年以上の歴史を誇るタイガース。その歴史の中で「ミスタータイガース」と呼ばれる選手は4人しかいない。

初代ミスタータイガースは藤村富美雄。球団草創期にから戦後にかけて球史を飾ったスーパースターです。晩年はプレーイングマネージャーとして指揮をとりながら試合に出場した名プレーヤー。

物干し竿の藤村

その特徴は、「物干し竿」と呼ばれた通常よりもかなり長いバット38インチ(97cm)を使い1946年に命名された「ダイナマイト打線」の不動の4番。その豪快なバッテイングと、時に「無謀」ともいえるラフプレーにファンは魅了されました。

また、藤村は2度サイクルヒットを達成しています。本塁打、打点王など数々のタイトルを獲得し、その功績の大きさから、背番号10番は永久欠番となっています。

2代目ミスタータイガースは唯一の投手である村山実。

ザトペック投法の村山

全身をダイナミックに使った印象に残る投球フォームは「ザトペック投法」と呼ばれました。

首を大きく振った独特の走法で、世界をかけ抜けた名マラソンランナー、「ザトペック」から命名。生涯の宿敵長嶋茂雄を打ち取ることに、全精力を傾け、数々の名シーンを演出しましたことも、ミスタータイガースの称号を得た理由のひとつでしょう。

縦ジマ一筋、14年、「炎のエース」で背番号11番も永久欠番となりました。

3代、4代目のミスターはいずれもホームランバッターとして猛虎打線の4番に君臨しました。

ホームランアーチストの田淵

田淵幸一は、その打球が高々と舞い上がり、スタンドへ運ばれる放物線の美しさから「ホームランアーチスト」と呼ばれました。13年連続で本塁打王を獲得していた全盛期の王貞治から1975年に本塁打のタイトルを奪いまいた。タイトルはこの1年だけでしたが、タイガース在籍時の10年間で満塁ホームラン7本、サヨナラホームラン6本とファンが喜ぶアーチを数多く残しました。ファンの印象に残るアーチを残してきたことが、4番の真骨頂だと言えるでしょう。

そんな、ミスタータイガースが1979年、2対4の大型トレードとなり、西武ライオンズへ放出されました。このトレードはかなり衝撃的な出来事でした。

若き4番掛布

その田淵から称号を受け継いだのは、テスト生同然(ドラフト6位)で入団した無名の掛布雅之でした。1年目から1軍に定着すると2年目にはサードのレギュラーになり3年目にはベストナインにも選ばれました。スカウトから全く、注目されずに入団し、努力で人気球団の4番に定着。まさに練習の虫。

田淵が西武に去った年に、藤村富美男の球団記録を抜く48本塁打を放ち本塁打王を獲得したのも何かの因縁かも。

掛布が33歳の若さで引退してから30年以上が経ちましたがミスタータイガースの出現はいつになるのでしょう。

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