福本豊の世界記録達成エピソード

盗塁を拒否したことがある

福本は1度だけ、盗塁を拒否したことがあります。それは世界記録がかかった瞬間のことでした。

当時の世界記録はメジャーリーグのモーリー・ウィルスが1962年に打ち立てたシーズン世界記録は104個。その記録に残り1と迫った1972年9月22日、西宮球場での近鉄戦。

ファンもマスコミも予告盗塁を期待しました。球団からは、「ファンサービスに、走るときは右手を挙げてから、「走る」アピールをしてから走れ、という注文でした。が、福本はさすがに断りました。もちろん彼は、予告をしませんでした。

相手をリスペクト

「相手は300勝投手の鈴木啓示ですよ、いくら何でも、失礼でしょう、いや他の投手でもマスクをかぶっている捕手に失礼でしょう、勝負している者同士、それは出来ない」と言いました。事実、彼はその後、牽制でアウトになっています。

世界記録達成の瞬間

その日、西宮球場は福本の世界記録樹立の「その瞬間」を見逃すまいというファンの異様な熱気に包まれていました。9月26日の対南海戦。

打席に立つと、捕手の野村克也がマスク越しに「おい、フク、頼むから走らんといてくれや、わしは飯の食い上げやないか…。」と独特の心理戦を用いてきました。スタンドからは大声援、マスクの下からは「呪いの声」。

3回1死から三遊間のゴロ。しかし、福本の足だとセーフになってしまう。「GO GO 福本」と騒然とする中で、野崎恒夫投手は、打者住友友平に対して初球を投げるまでに立て続けに7球も1塁へ牽制球を送りました。まだ、1球も打者に投げていないのに…。野村克也の心理的プレッシャーの意図が見え隠れしていました。その警戒の中で、3球目、一瞬の静寂の中で2塁へスタートを切った。

「105」個の世界記録達成の瞬間、グランド係員が飛び出してきて、今、福本が駆け込んできた2塁ベースを引き抜き福本に記念のベースをプレゼントとしたのです。現在の世界記録はリッキー・ヘンダーソンの130盗塁ですが、その当時は驚異的な数字でした。

特製スパイク

福本の足へのこだわりは、そのスパイクにありました。カンガルー皮製で1足がわずか400g。足のサイズは5mm小さい24.5。それほど、感触を大切にしていました。しかし、足のサイズが小さい為に足の指の爪は全部黒に変色していました。1988年に引退するまでの20年間、毎夜、熱い風呂の湯に両足を付けて疲れをとっていました。

福本は夜釣りが好きで、よく淡路や明石まで出かけていました。それは趣味と言うよりも、自分を静かに見つめたいというリフレッシュ方法でした。深夜、真っ暗な海に向って黙って釣り糸を垂らす、ついさっきまで世界のひのき舞台に登って、騒動の中心にいた時分から静寂に身を置いていました。

打撃も凄い

実働20年で1065個の盗塁。企画数が1364で盗塁成功率は78.1%にも達します。

2位の広瀬淑功の通算盗塁数は596個で福本の数字は断トツ。この福本の特筆すべきは打撃で、通算2塁打が449本で史上2位。3塁打は115本でこれも日本記録となっていますが、これにもエピソードがあります。

ある日、試合前の打撃練習で俊足を生かそうと、ショート方向へゴロを打つ練習ばかりしていたら、そこへ西本監督が現れ、怒ったそうです。「当てるだけのバッティングばかりじゃあ相手の投手が怖がらん」もっと思いっきり引っ張れ!と。

もし、福本が仮にメジャーへ行ったらどうなっていたか?

「もし、メジャーに行っても、投手のモーションの大きさ、ボークの厳しさ、クセなど、そんなに苦労しないとおもう」と。説得力のある言葉。球場の大きさは日本もアメリカも違うけれど、塁間の距離27.43mは一緒なのだから…。

    コメントを残す

    メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

    PAGE TOP
    %d人のブロガーが「いいね」をつけました。