槙原寛己衝撃のデビュー戦

雨の降る伝統の1戦

その日は、昭和58年4月16日甲子園でのタイガース戦でした。

この年、ジャイアンツは江川卓、西本聖、定岡正二の三本柱を軸に開幕ダッシュに成功。前日まで5勝1敗で首位に立っていました。

三本柱以外にも、加藤初、堀内恒夫、新浦、角、などそうそうたるメンバーで、高校での2年目の選手が1軍にいること自体が異例といえるほど投手陣は充実していました。まして7試合目、これからという時の先発で、いかに藤田元司監督が期待していたかが分かります。

荒れ球が特徴で細身の若者

当日の甲子園は小雨模様でこの伝統の一戦に5万人の大観衆で埋まり、デビュー戦の舞台は整いました。プロ入り2年目の細身の19歳「球がどこに行くか分からない」投手にはどう見ても荷が重いと思われました。案の定、初回から四球を出し2死1.2塁のピンチを招く不安な立ち上がり、しかし、槙原は崩れそうで崩れませんでした。2回を除いて毎回走者を背負いながら、150キロの荒れ球でピンチを切り抜けます。

6回には、それまでパーフェクトに抑えられていた、相手投手の野村収からチーム初ヒットになるプロ入り初安打をセンター前にヒットを放つおまけ付き。

あれよあれよという間に、9回まで投げ切り、試合は0-0で延長戦に入りました。

そして、10回の表ジャイアンツは2死2塁にレジ―・スミスを置いて、左腕キラーの平田

がタイムリーを放ち、ついにその均衡を破りました。

ど真ん中めがけて

10回裏に、2死1塁で掛布雅之を迎えた時も藤田監督から「真ん中をめがけて思いっきり投げろ」と言われ、その通りど真ん中に投げました。

掛布の当たりは、センターの後方を襲いましたが、センターの中井が背走してこれを好捕。延長10回、145球を投げて初先発初完投勝利を完封で衝撃のデビューを飾りました。

「どうしていいのか分からないんです、山倉捕手と監督とは握手をしましたが、他の野手とは握手もせずにベンチに戻ってきました」それほどガムシャラに投げていました。

本人はこの勝利のポイントを「無心で思いっきり投げたことに尽きる」と。

重い剛速球

この時の槙原のピッチングは中継で見ていましたが、ストレートに威力があり、ほとんどの打者が差し込まれているようにみえました。江川の様な、伸びのある空振りを獲るストレートではなく、いかにも重い速球で凡打の山を築いていました。

小雨の降る中、若さが前面に出た躍動感のある見事な投球でした。

とにかく若い頃の槙原のストレートは、他に類のない重い球質で、次節のドラゴンズ戦でも、三振はあまり獲れていませんでしたが、詰まった内野ゴロばかりで、打球が飛ばす、当時の主力打者の田尾安志、谷沢健一、宇野勝、大島康徳等が、打球を外野に飛ばすのも困難でした。こんな投手は、私は、今まで見た事はありません。江川とは、全く違う質のボールでした。

しかし、対応していくのがプロの世界。慣れてくると、対策を講じ次第に槙原を攻略していくのです。

参考文献 ナンバー218 5月5日号 文芸春秋発行

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